こんにちは。アトリエKW 代表の 渡邉響子です。
西洋美術・絵画史を紹介するコーナー。主に画家の生涯、作風に焦点を当てて紹介しています。
第二回目の今回は、レンブラント・ファン・レイン です。

レンブラント・ファン・レイン は 1606年、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)で生まれた画家で、前回紹介したフェルメールらと同時期の、バロック期を代表する画家の1人です。
バロック期には他にも イタリアのカラヴァッジョ、フランドルのルーベンス、スペインのベラスケス と錚々たる画家がいます。
この時期の画家のほとんどが、コントラストを強めにして情景をダイナミック演出する技法を取り入れています。その元祖はカラヴァッジョと言われていますが、レンブラントは、「光と影の魔術師」という異名を持つほどに、その卓越したセンスで他を圧倒しているという評価もあります。
・・・と、大画家レンブラント 最高だぜ!となるんですけれど、晩年は自身の「芸のためならなんでもアリだぜ!」みたいな性格も祟って幸せな最期ではなかったようです。
けれども、本人は「やりたいように生きてきた。だから幸せだったぜ」 だったかもしれません・・・・
ちょっと気になりますよね?
レンブラントの生涯を追ってみましょう。
目次
肖像画家としての活躍
当時は写真というものがありませんでした。1600年台ですもの、日本で言ったら江戸時代初期。
時の権力者たちは、自分の肖像画を画家に描かせるというのが一般的でした。
レンブラントは若いうちから肖像画家として活躍します。
特に高い評価を受けたのが、「テュルプ博士の解剖学講義」という絵です。

この絵は、現代でいうところの集合写真です。
当時はこのような集団肖像画を描いてもらうことも多かったわけですが、レンブラント以外の画家たちが描く集団肖像画は、登場する人物全員が不自然に正面を向いているものでした。
現代で「集合写真撮りますよー はいチーズ!」となると、みんな一斉にカメラのほうを向きますよね。その状態です。
これは、集団肖像画を依頼した人物たちの顔がそれぞれきちんと描かれていないと不公平だからという理由でそうなっていたようです。
そりゃそうですよね、同じお金出してるのに、自分だけなんか顔があっち向いてる・・・ってなると、「どうしてそんなふうに描いたんだよ!」って怒りたくなりますよね。
そういう理由で、当時の集団肖像画はみんな正面を向いているのが普通だったのですが、レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」は題名の通り テュルプ博士の解剖学講義を聴いている人たちの情景をそのまま描いています。
当時はこれがすごい!!ということになり、高く評価を受けます。
明暗をしっかり描き、ドラマチックな情景となっているのも高く評価されたポイントです。
ただちょっと調子に乗りすぎた?名画 夜警
肖像画家としても高く評価を受けていたレンブラントの最高傑作のひとつとして有名な「夜警」。
現在 アムステルダムの国立美術館にオランダの名画として国宝級の扱いで展示されています。

正式な題名は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』といいます。
この市民隊というのは、当時の火縄銃手組合による市民自警団で、フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長を中心に火縄銃手組合のみなさんが依頼した集団肖像画です。
「夜警」という名前がつくくらい暗い部屋の情景ですが、実はこれは昼の情景という説が有力です。
(それがわかった時点で名前変えようよ・・・というツッコミは野暮ですよ)
実はこの絵。レンブラントの最高傑作でありながら、彼の没落の引き金になった絵でもあります。
隊長と副隊長は中央で大きめに描かれておりしっかり目立ちますが、後ろにいるたくさんの市民隊のみなさんの顔はしっかり顔が描かれている人、顔の一部しか見えない人の差が激しいですよね。
そのうえ、隊長、副隊長よりも目立つ、謎の少女の存在。市民隊の中には少女はいないんです。でも絵の中央の目立つところに登場させちゃった。
で、この絵を見た市民隊のみなさんから、「お金ちゃんと払ったのに、なんで俺の顔こんなに小さいんよ!それになんなん、この少女!」というクレームがあったとかなかったとかで、レンブラントは評判を落としてしまうのです。
それと、この絵を描いている最中、最愛の奥さんサスキアが病気で亡くなります。
そのショックも大きく響いています。
ちなみに、この少女だれなん?問題ですが、よく見ると帯から垂れ下がる鶏の爪が描かれています。
これは火縄銃手の象徴で、マスコットキャラ的存在で描かれているようです。
さらにこの少女は、亡くなったレンブラントの奥さんをしのんで描かれているという説もあります。
いずれにしても、この絵で評判を落とし、奥さんが亡くなったことでレンブラントの没落が始まります。
自画像をたくさん描いたことでも有名
冒頭のレンブラント紹介のところでも自画像を載せていますが、他にもたくさんの自画像を残していることでも有名です。
特にハッとされられる自画像は、これ。

頬のところに光が当たり、他の部分は影の中に描かれている。
その絶妙なコントラストの中に見える彼の視線はなにを訴えかけているのでしょうか。
その絵に込められた力をとても感じさせる一枚です。
こういった芸術的アプローチの絵は、自画像でなければ実現しませんね。なぜなら依頼されて描く肖像画では依頼主の顔を陰で覆うなんてできないですものね。
けれどもこういった尖ったことを忘れてしまうと、アーティストとは言えなくなっちゃうのかなぁと思ったりします。
実際レンブラントがどういう心境で絵と向き合ってたか。
過去に戻って尋ねてみないと分かりませんが、彼の残した数々の絵画の中から感じられる尖がったアーティスト精神。
依頼された肖像画を描くにしても、ただ単に依頼主の満足だけを得られればいいというような考えではなく、尖ったものがどこかしらがあったんだろうなと感じます。
そこが後世の私たちの心に響くものなのだろうなと思いました。
これは現代の音楽にも通じるんですよね。
ロックの黎明期。アーティストはこぞって独自の解釈で新しい音楽を実験的に行っていきます。
年代にして1960年代後半から1970年代。
ありとあらゆる切り口で心に残る名曲が生まれた時代。
その後、1980年代になると音楽は商業ベースに乗っかり、まず第一に考えるべきことが「売れること」に変化していく。
もちろん80年代以降、名曲がないとは言いませんが、どことなく似たような音楽で溢れてくる。
なんか同じような曲、予定調和的な、「こう来るよね!」が分かってしまうような曲が多くなる。
繰り返しますが、’80年代以降も名曲はあります。
でもどこかしらそれ以前の音楽とは別の感覚があるんですよね・・・(きっとわかってくれる人は多くいらっしゃると思います)
「この前の曲、けっこう売れたからまたあの路線でよろしこ!」とか、
「あのバンドのあの曲みたいなの売れてるからあれ真似してさ、曲書いてくんない?」
みたいな圧力がアーティストたちに重くのしかかってきだしたのが’80年代以降じゃないかなぁと思うわけです。
食べていくにはお金も稼がなければいけません。売れなければなんにもならないのです。
もちろんその中で、アーティスト魂を忘れずに諸先輩たちは戦ってこられたと思います。
クライアントの言いなりじゃなく、自分らしさをどこかしらにぶち込んで。
その「売れるためにすること」と「アーティスト魂」のバランスがホントにうまくできてこそのプロなのだろうなと思うのです。
話は絵に戻しますが、絵も同じで、そつなく誰にでもうける絵が描けるのも大事なのかもしれないけれど、どこかしら尖った精神を絵にぶち込むことを忘れたらだめだなぁと思うのです。
レンブラントの自画像から、それを気づかされるのでした。
あっぱれなほど浪花恋しぐれ?
若いころから肖像画家としても評価され、なおかつ裕福な家庭で育ったサスキアと結婚できたことでかなり裕福な生活だったようですね。
そこで現れる浪費癖。
「絵のために必要やから、この骨董品買うで!おぉ、こっちの古着もええなぁー!よし、全部買った!」
・・・と、なにげに関西弁が似合いそうな(私の勝手な妄想ですが)、「芸のためなら女房も泣かす」浪花恋しぐれ的おじさんだったみたいです。
その浪費癖で処方面から批判を受けたときに描いたと思われる絵がこちら。

絵に登場しているのは奥さんのサスキアと、自ら放蕩息子を演じるレンブラント本人。
「わしの金や、どうつこうてもわしの勝手やないか!」
と言わんばかりの開き直り。
もう、あっぱれと言ってもいいくらい。
けれども奥さんサスキアの死と、「夜警」での悪評により、没落していきます。
いろいろあって無一文になってしまいます。
女性関係でもすったもんだもあって大変な思いもします。
けれど、死ぬ最後の最後まで浪費癖は直そうとしなかった。というか治らなかった?
「絵のためやったら、躊躇せず行くで、わしは。」
という、本当にあっぱれな画家魂。
周りの人はかなり迷惑だったかもしれないですが、もうそこまでブレずに生きていけたら・・・
それはそれで幸せな生き方の一つなのではなかろうかと私は感じます。
私も、小さいことにこだわるのをやめ、未来を不安視せずに、己の表現したいものを追求する。
そこ一点に集中せなあかん!と改めて思わされた次第です。
レンブラント先輩、ありがとうございます。