こんにちは。アトリエKW 代表の 渡邉響子です。
私のフリーランスとして生きていくためにしてきたこと、日々思うことなどを書きつづっています。
ここ最近、私ががむしゃらにプログラミングを学んでいたころのことを思い出そうとしています。
なぜかというと、これからプログラミングを学ぼうとしている若い世代のツイートをよく目にしているからです。
将来のため、いや、それこそ今を生き抜くために技術を身につけようとがんばっているツイートを見るたびに、「がんばれよ!」と素直に応援している自分がいます。
かつて私もプログラムを覚えようとがんばっていた時期があります。当然ですが最初からすべてが理解できたわけではありませんから。
ただ、私の場合、将来のためとか生きていくためというよりもむしろ、知的好奇心を満足させるために学んでいたといったほうが良いかもしれません。
自分が書いたプログラムが思惑通りに動くことがうれしかった。
それはコンピューターを完全に支配してやったという征服感。ただそれが満たされからだったと今は思います。
また、新たなプログラムを作ってみんなをあっと言わせたいという欲がそうさせたのかもしれないです。
ようするに、その技術を学び新しい方法を編み出していくことに満足していただけだったと思えるのです。
その手に入れた技術をどのように生かしていくのか、どんな人を助けられるのか、といったところまでは恥ずかしながら頭が回っていませんでした。
今の若い世代は、私のような思慮の足りない者ではないと思いたいですが、実際どうなのでしょう?
もし私のように、手に入れた技術をどう世の中に活かしていくかを全く考えていないのだったら、一度立ち止まって考えてほしいです。
その技術は、世の中に本当に役に立つのか?もしかしたら人を傷つける存在になってしまわないか?
ジョン・フォン・ノイマン。
プログラマーを志している人なら必ず目にする人物だと思います。
アルベルト・アインシュタインをして本当の天才と言わしめた男。
彼の功績はもう語るまでもないですよね。
現在私たちが一般的に使っているコンピューターは彼の設計思想で作られています。
私たちにコンピューターという多大なる恩恵をもたらすこととなった人物ですが、一方で第二次世界大戦の戦時中には核兵器の開発に携わっていました。
広島、長崎に投下された原子爆弾を開発したチームの一員なんです。
地表で爆発させるよりも空中で爆発させたほうが威力があることを発見したりと、それはもう研究熱心だったということが分かります。
また、原爆の投下は「京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっているからこそ殲滅すべき」という、冷酷な発言をしたことでも有名です。
ノイマンは頭脳明晰で研究熱心だった。それは間違いないのですが、人道的な思想は希薄だったと、当時の彼を知っているものは証言しています。
核兵器によって、広島、長崎で多くの命が奪われた。これはもうまぎれもない非人道的行為と言わざるを得ません。
しかしながら、あの時点で核兵器ができていなかったとしたら日本は降伏していただろうか。
抑止力がないまま戦争は泥沼化したのではないだろうか。
またその後に続く米ソの冷戦も冷戦ではなく直接の武力行使での戦いが繰り広げられる、世界は悲惨な状況だったかもしれない。
私はもちろん核兵器のない世界を望みますが、はたしてそれで世界は平和を維持できるのかと問われると、はっきりと Yes とはいえない・・・・と夜も眠れなくなります。
現代の平和は、数多くの犠牲の上に成り立っているということを忘れてはいけないですね。
そして、ただひとつ言えることがあります。
先のことをちっとも考えていない技術はヤバい。
私ら技術者は、つねにその携わる技術の行き着く先を想像することが大事だ・・・と、そんなことを秋の夜長に思ってしまう・・・私も年を取ったのかなと感じる今日この頃です。